東京甲陽ネット
ウェブ アニメータ

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若い人と話をするのは楽しいね 勉強になります、異業種交流 すごい先輩たちにも会えるし



会場

感謝! 今年も
プレミアムモルツの差し入れが!
おかげでウイスキーは「響」(ひびき)、
ワインも「登美の丘」にグレードアップ!


共通の恩師の話で盛り上がった 同期との再会に心が弾む

 
 




このつながりを大事にしたい。
しみじみそう思える同窓の集まりです。
あの頃は自分の受験や将来への不安でいっぱいいっぱいだったから、
友達のことをそんなに理解していなかったかもしれない。
だけど、年齢を重ねても安心してつきあえるのは、あの、夢中で駆け抜けた日々があったからこそだな。


みんな、ダテに甲陽出てないよなぁ…。俺もやったるで。
静かに力がみなぎってくる夜です。
久しく会わなかった同級生が、バリバリに活躍していた。
冗談ばっかり言っているような奴だったけど、自分の選んだ道ですごく努力したんだろうな。
改めて見直したし、刺激にもなった。これからもどんどん会おうと思った。


甲陽の卒業生同士でなかったら、
親しく話をして名刺交換をする機会なんてなかったと思う。
普通ならまず会えないような立場の人が、甲陽の卒業生にはたくさんおられる。
そんな先輩が、ざっくばらんにビールをついでくれた。
名刺交換のときちょっと手がふるえたけど、うれしかった。来なかった友達に自慢しよう。


学年が離れていてもみんなきさくですね。
叔父さんや、兄貴や、弟ができたみたいな気がします。
先輩はいばらないし、後輩も「敬してへつらわず」だから、うちとけるのが早いのかな。
正直、行く前は、「違う学年の人と会ってもなあ」と思ってましたけど、人脈がぐんと広がりました。
甲陽という共通の基盤があるだけで、社会に出てからもこんな「特典」があるとは。



甲陽は心のふるさと、人間形成の原点
 あの甲子園の母校を昭和24年に卒業して、はや63年の歳月が過ぎ去り、齢も80歳の大台に乗りました。
 まさに「人生は白駒の隙を過ぐるが如し」の言葉が、お前は何を為してきたのかと胸を刺さします。
 この齢になって、母校への心の回帰は一入(ひとしお)ならぬものがあります。
 思えば、私の人間形成の原点は甲陽にあります。
 それだけに母校・同窓会への思い入れ、そして同窓生の仲間を大切にしたいとの思いを強く持っています。
 「東京甲陽ネット」の活躍を期待しています
 
甲陽学院同窓会 会長  31回生 有田 和男


 
 
  日時  2011年11月11日(金) 午後6時30分開始 (受け付け開始:6時)
  会場  赤坂・レストラン「響」(ひびき)
  会費  7,000円(大学院以下の学生は 4,000円・社会人入学は対象外です))


アクセス 地下鉄(東京メトロ銀座線・南北線)溜池山王駅下車13番出口 徒歩3分

行き方(1)左図参照
1)13番出口の階段を上がると六本木通り(上は首都高)の歩道に出ます。(左前はANAインターコンチネンタルホテル)
2) ANAインターコンチネンタルホテル手前の角を左に曲がり(狭い道)、行き当たりをまた左へ。

●行き方(2)
1)13番出口の階段を上がると六本木通り。
2)回れ右をして2本目、歩行者信号のある角(約30メートル・右にPRONTあり)まで戻り、右に入る。(下の地図は13番出口がややずれています。「ドトール」の先ですのでご注意ください)
3) 緩やかな坂を約100メートル、右側のビル。(道路をはさんで、向かいに「LAWSON」があります)
4) ロビー左、喫茶コーナーの前に「響」の表示あり。すぐ奥のエレベーターで2階へ。

12番出口(AT&T)から出た場合は、首都高速道路高架下の信号を渡ってください。

◎乗り換え案内サイト 「駅から時刻表」

http://i.ekikara.jp/top_m.htm (携帯電話からも可)

【印刷用頁】 ← こちらをクリックしてください。



  

 ● 参加のお申し込みはメールで 東京甲陽ネット mail to : tostaff@tokyo-koyo.net まで。

 ■ お手数ですが、次の項目を必ずご記入ください。
 1)氏名
 2)卒業回
 3)勤務先またはご職業(リタイアされた方は元職でも結構です)
 4)勤務地(区・市)
 5)居住地(区・市)
 6)甲陽時代の部活
 7)思い出の先生や甲陽時代でいちばん記憶に残っているできごとなど


 申し込み締め切り 11月9日(水)午後6時
 
  お申し込みメールをいただいたあと、できるだけ早く「受付メール」をお返しします。また2日以内程度で、「参加者名簿」に反映させます。
  この受付メールが2日以上たっても届かない場合や、申し込みにお心当たりのない場合は 東京甲陽ネット までご連絡ください。

  締め切り後の取り消しや連絡なく欠席された場合はキャンセル料を請求させていただきます。
(学生を含め若い方が参加しやすいよう、会費に余裕を持たせていませんので、ドタキャンはそのまま赤字となります。これからも長く東京甲陽ネットがOBの楽しい交流の場として活動していけるよう、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします)





こんなときだからこそ!
 若い世代も働き盛りも人生のベテランも、
  交流会に集まって、
   人と人のつながりや不思議な縁、心がほっとする付き合いを実感してほしいと思います。
ああ、甲陽でよかった。
そんな交流会にしましょう。

 

東京甲陽ネット 
会長 
佐治 信忠
 豊かな時代に育った若い人たちからは「働き蜂」に見えるかもしれませんが、ただ経済の豊かさだけを追ってきたのではありません。
 仕事にはいろいろな夢やロマンがあります。
 浜松の町を自作のエンジン付き二輪車で走り回って開発に心血を注いだ本田宗一郎さん。小さな町工場からスタートして世界のソニーにまで育てた井深大さん。などなど、私たちの時代には「夢を追い続ける」素晴らしいお手本がありました。
 戦後、日本製品は「安かろう悪かろう」と言われ、くやしい思いをしたものですが、本田さんや井深さんのような人たちのおかげで、評価が180度変わったのです。日本製品を見る世界の人の目が変わったのです。
 ヤマハやカワサキもいいぞ、トヨタやニッサンもすごいぞ、と。松下も東芝も日立も、正当な評価が得られるようになり、輸出も急拡大しました。
 いいものを作って、それが評価されることの喜び。そんな仕事に携わって家族を養っていくという喜び。それもまた、日本の発展を支えた原動力ではないかと思います。


 いま日本は苦しい状況にありますが、若い世代は、これからの30年、40年というスパンで目標を定め、それに向かってひたすら希望を持って努力してほしいのです。
 もちろん、いままでとは日本の置かれている環境も条件も大きく様変わりしていくと思いますが、チャレンジ精神だけは持ち続けてください。


 卑近な例を持ち出して申し訳ないのですが、私の会社には「やってみなはれ」という言葉があります。面白そうな提案があれば、まずは「やってみなはれ」と挑戦してもらう、という企業風土です。そんなふうにして世界で初めて作り出された青いバラは、今年からアメリカにも輸出できるようになり、海の向こうでも絶賛を博しています。
 ビールは昭和38年に製造を開始してから40年以上、赤字の事業でした。それでもひたすら品質を追求し続けた結果、ザ・プレミアム・モルツが2005年から“3年連続モンドセレクション最高金賞受賞”という快挙を成し遂げ、ついに黒字への転換を果たしました。
 そもそもが、「日本で本場に負けないようなワインを作ろうなんてどだい無理」、と鼻で笑われたようなところから出発した会社です。明治32年のことですから無理もありません。挑戦の連続で今日までやってきた会社ですし、これからも、世界で生き残っていくには、果敢に挑戦し続けるしかないと思っています。


 若い皆さんに、ぜひ申し上げたいと思います。いかに不利な状況に陥ろうとも、決して怯(ひる)むことなく、萎縮することなく、そして倦(う)むことなく、己やカンパニーを信じて、のびやかに挑戦し続けていただきたいということです。
 他人と自分を較べる必要はありません。自分の夢や目標を見失わないことが大事なのです。


 人間だから、スランプになるときもあるでしょう。そんなときは、気の置けない仲間とわいわいやるのがいちばんではないでしょうか。
 甲陽仲間はそんなときのためにあるのだから、どんどん招集をかけましょう。顔を見るだけで元気になるのではありませんか?
 同期ばかりでなく、先輩でも後輩でも、プラスエネルギーを出している人に声をかければ、相乗効果が高まります。
 東京甲陽ネットの集まりは、その最たるものと言っていいでしょう。
 甲陽の人脈を大事にして下さい。


「1並びの日」(2011.11.11)に、ぜひお会いしましょう。
甲陽学院45回卒、昭和43年・慶應義塾大学経済学部卒業、昭和46年・カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営大学院卒業、ソニー商事を経て昭和49年サントリー入社、平成元年・副社長、平成13年・社長、平成21年・サントリーホールディングス社長。
  

 今年は日本にとって、本当に大変な年になりました。地震、津波、原発事故で被災された方がおられましたら、この場をお借りして、心よりお見舞い申し上げます。
 
 被災地以外の地域でも、官公庁の皆さん、企業の皆さん、それぞれが試練に直面しました。私の会社も大きな影響を受けました。現地に多くの人を派遣し、義援金や物資の提供もさせていただきました。
 この半年、日本人はいろいろなことに気づき、課題も多々みつかりました。
 しかし、いまの日本、なぜか元気がありません。閉塞感におおわれているように感じます。確かに、地震以前から経済、政治、社会……、いろいろな分野で手詰まり感があったのは事実で、大災害と大事故がそれに追い打ちをかけたのでしょう。
 私は、このような社会の空気を敏感に受け止めた若い人たちが、自信や、夢や、大望や、不撓不屈の強い精神力といったものを失いかけているのではないかと、気がかりでなりません。
 
 私は昭和20年、終戦の年に生まれました。両親や周囲の大人から、終戦時の惨憺たる日本の様子を聞かされたものです。
 国は焼土と化し、食料も生活物資も産業物資も枯渇し、幾万もの優秀な人材が失なわれました。
 しかし、敗戦のショックや経済の混乱、社会生活の不安にさいなまれながらも、余計なことを考えている暇などなく、日本人はただひたすら「復興」と「生活再建」をめざして頑張ったのです。
 おかげで、私が小学校高学年の頃にはなんとか経済も立ち直り、生活もそれなりに落ち着きを見せ始めていました。
 それでも、甲陽の中学時代、近くのくさむらに入ると、家の土台だけが残っているようなところがまだあって、「ここも空襲で焼けたんだなあ」と戦争中の大変な暮らしに思いを馳せたものです。
 中3のときだったか、授業で先生がこんなことを言われました。「日本は何の資源もない国だから、外国から材料を輸入し、高い技術力を養っていい製品を作り、それを輸出して稼がなければ、やっていけません」。教室が、粛然とした空気に包まれたのを思い出します。
 
 高校に進学した年に、池田内閣の高度経済成長政策がスタートしました。オリンピックや新幹線の開通を控えて、日本の国が明るく活気づいてきたのを感じたものです。まじめに頑張って働けば、夢に手が届く…、そんな気分が世の中にありました。
 そして昭和43年、GNPがついに資本主義経済圏で第2位になりました。「アメリカに次いで2位!」と正直、驚きました。しかし、その後も日本の成長は衰えることなく、オイルショックをくぐり抜けたあとは安定成長期に入り、アメリカの経済学者によって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本まで出版されるほど、日本は輝き続けたのです。
 
 交流会には、日本の復興と繁栄に少なからず貢献された先輩の方々もお見えになることと思います。
 私たちはそんな頼もしい先輩の背中を見て、あとに続けと走ってきた世代です。
(右列に続く)






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